第6話 なんだら砂漠

 インドからパキスタンに来たものの同じようなものだった、こうなると後は西へ行くしかない、本屋を探す。 地図がないからどう行けばいいのかかいもく見当もつかない、本屋で地図を眺めていたらパキスタンとイラン国境になんだら砂漠(何と言う名前だったか忘れたし調べたくもないのでこのまま進める)というのが広がっている、パキスタンからイランへ通じる鉄道線路もある、うーん砂漠か、ウネウネと広がる砂丘、真っ赤な夕陽、そこを隊商のラクダの列が行く、ロマン、自分がもうその中に居るような気がした。国境まで鉄道で行くことにして、近くの駅へ切符を買いに行く、イランとの国境まで行きたいんだがと伝えるがどうも要領を得ない「クエッタ、クエッタ」と言っている、そんなような駅も途中にあったような気がする、ま、いいか、その先はクエッタで買えばいい、切符を手にすると本屋に引き返してもう一度地図を広げた、やはりクエッタから国境まではかなりありそうだ、線路はあるのに?????

 列車は4人掛けぐらいで向かい合わせの木製の座席であった、かなり空いていたので窓際の席に座った、周りに外国人らしき者はいない、駅で見かけた西洋人も同じ列車だと思うが見当たらない。
 幾つめかの駅で若いパキスタン人が前の座席に座った、その時何か「コトン」と音がした、その後も彼の身体が列車に揺られると「コトン、コトン」と音がする、何もする事のない私はその音が気になって仕方がなかった、何なんだろう、私が観察しているのに気付いたのか「何処からきたんだ?」と話し掛けてきた、お決まりの質疑応答の後、音は何だと訊いてみた、すると彼はポケットからピストルを取り出した。ピストルを見たり手にするのは初めてではないが、それを持っている人間と向かい合わせに座っている、そしてそれを見ている乗客も別段驚いた風もないという事が心臓をドキドキさせた。彼は弾を抜く(本当に入っていた、当然だが)と私にほら、とよこした、それはコルトの22口径のオートマチックだった、しばらく眺めていると、どうだ買わないかと言う、これは小さすぎてオレには役に立たないような事を言う、一体どこで役に立てようというのだろうか?、その後ある国でピストル(22口径だった)を買った時も周りから、これじゃ人間は死なないよと言われた。ちなみにこの時の言い値はUS25ドルだった、私は武器商人ではないからこの手の物の適正価格は判らないが高いと思う、アフガニスタン、パキスタン国境あたりではUS5ドルくらいからいくらでも売っていた。

 クエッタに着いてなぜここまでしか切符を売らなかった(売れなかった)のか判った、線路はあるが列車の運行はとうの昔に廃止されているんだそうだ、これが私の理解の範囲内で真相は知らない。ではどうしたらいいのだ、色々訊き回った結果バスで国境を越えられる事がわかった。

 バスの切符を買って「イランにはいつ着くか」訊いてみた「トモロウ モーニング エイト オクロック(明日 朝 8時)」確かにその男がそう答えたのを今でも忘れない。(これが今後の話の展開のキィになる)

バスに縛られなんだら砂漠横断

 バスの出発は午後6時、明日の朝イランということはもうパキスタンのルピーはいらない、タバコや食パン等を買い込みバス停へ、切符を見せるとマイクロバスを一回り大きくしたぐらいのバスで盛んに荷物を屋根に載せている車を指差した、東南アジアからこっちヨーロッパまでバスの屋根は荷物置き場と決まっている、下にはまだ沢山の荷物がある、こりゃまだ当分掛かるな、私の目にはもう十分満載と思われる屋根の上でまだ荷物を引き上げている男達を見ながらゆっくり待つことにした。

 荷物が片付きキャンバスの被いをする、バスの入り口で男が何か叫んだ、周りにいた乗客と思われる人々が男の周りに集まり切符を見せている、いよいよイランに向けて出発だ、私もバッグを肩に腰を上げた。まず女子供が乗り込んで行く、フンフンなかなかと思っていると今度は男達がわれ先にと乗る、とうとう最後になってしまった、乗り込んだものの座るスペースなどない、座席の下、網棚はもとより通路まで荷物で溢れている、その上にも座っている、どうしようかと考えていたらいい事を思いついた、屋根の上はどうだ、荷物を上げていた男達に身振りでそれを伝えると笑いながら「オーケー」と言う、早速バスの後部の梯子をよじ登り荷物の上に、なんて快適なんだキャンバスのくぼみに横になりにやりとした。

 バスが走りだし、これでパキスタンともお別れだ、明日はイランか、夕焼けで赤くなった空を見ながら一寸寂しさを感じ、今までの事を思い出していた、この先どうなるんだろう。
 バスは市内を抜け荒野に出かかっていた、後部の梯子に掴まっていた男2人がロープを手に上がってきたかと思うと「やめろ、よせ」とバタバタする私を押さえつけロープでバスに縛りつけてしまった、とうとうバスの荷物の一つと化した私に男は「スリープ(寝ろ)」と一言いった。
 その訳はすぐに解かった、市内を出ると道が悪いのでバスが左右にかなり揺れる、振り落とされるのを心配しての事だった、そうならそうと言えばいいのに、もっともウルドゥ語で言われても解からないけど、一時はどうなるかと思ったんだぞ。

 空が赤から黒へと変わって行く、星が一つ見える、ちょっと風が冷たい、バスの屋根の上だからな、こう思ったのが始まりだった、学校で習っただろうか砂漠の昼夜の温度差というのを、当時私はTシャツにGパン(東南アジアに冬物はいらない)という格好で今までの国(地域)では十分であった。ところがどうだ太陽が地平線に落ちた途端この寒さだ、着る物はないし、掛ける物もない、明日の朝までの我慢とぶるぶる震えながらも満天の星空を楽しんでいた。

使えないドル札

 次の日、空が明るくなる頃バスは荒野の真中に止まった、周り中何もない、あるのは遥か彼方の地平線だけ、乗客達はそれぞれ持参の品で日よけをそこらに作り朝食の支度を始める、皆キャンプ(?)用具を持ち歩いているのか?私にはそんな用意はないので半分乾燥してパサパサになったパンを食べる、飲み物もないし唾液もたいして出ないので食べずらい事この上ない、このパンはここで食べるのを諦めた。それよりなぜ皆ノンビリしているのだろう朝8時にはイランじゃないのか、運転手に訊いても要領を得ない、誰一人私の疑問に答えてくれる人はいなかった、なにせ英単語を指折り数えられそうな私より英語の出来る者はいなかったのだから。
 太陽の縁が地平線を離れた途端ぐんぐん気温が上がる、砂漠で汗は出ない出る前(?)に蒸発してしまうのだろう、肌が塩でざらざらする、それにしても喉が渇いた、水が飲みたい、もうどれほど水分を摂っていないのだろう、バスの下(日中はバスの下に転がっていた)から這い出し乗客達のテントへ行き1ドル札を差出し水を飲ませて欲しいと身振りで頼んだ、1ドル札を受け取ったのでこれで水が飲めるとホッとしたが、受け取られた1ドル札は隣の男の手にある、そうして一回りしたドル札は私の元に戻って来てしまった、1ドルでは不足なんだと思い5ドル札をだしたが同じ、20ドルまでやってみたが、めずらしそうに皆で回し見をするだけでとうとう水を飲む事は出来なかった。太陽が西の地平線に近づき始めた頃テントをたたみ始めた、早くオマエも乗れと言うように私を縛りつけた男がバスの梯子を指差す、私の定位置はバスの屋根と決まったらしい、のろのろと梯子を上ると男もロープを持って上がってくる、もうすっかりバスの屋根での旅は慣れているのでキャンバスの窪みに丸くなり大人しく縛ってもらった。

 こんな旅が2日も続いた、途中のことは何も覚えていない、意識朦朧、口は渇ききって舌がひび割れているようだ、誰一人水も食料もくれない、よほど我慢強い男だと思われていたのかそれともいつ死ぬか賭けでもしていたのか、未だ彼らがどう思っていたのか解からない、3日目に止まった所には建物があった、今考えると笑ってしまうがそこには遮断機があった、踏み切り小屋と遮断機が回り中地平線て所にあるんだぜ、別にちゃんとした道なり線路があるわけじゃないのに。 どうもここが国境らしい、乗ってきたバスより少しましだと思われるバスが遮断機の向こうに止まっている、荷物を載せ替えて出発、バスは街外れの土塀に囲まれた建物の前に止まった、そこでパスポートに入国のスタンプを押してもらう、乗客は予防注射だろうか注射をしてもらうため列を作っている、私も注射しなければならないのだろうか、立って並ぶ気力も体力もない、壁際に荷物を引きずって行きへなへなと座りこもうとして意識がなくなった。

 気がついた時外は明るかった、自分の置かれている状況がさっぱり把握出来ない、部屋の中には木の机があるだけで誰もいない、どうしちゃったんだろう朦朧とする頭で考える。

 ここが国境の街ザヒダンだった。


 ここまでの記憶しかない、その後どうしたか全く覚えていない、気がついた時には周りに誰もいなかったし、土間で土壁の部屋の中には机だけでその他の物は全くなくがらーんとしていた、土塀の中にも人がいた形跡もなかった、パスポート、現金、時計その他の荷物もみなあった、ドアもない建物の中に転がっていたのに。注射はしたのだろうかそれとも全ては幻覚だったのだろうか。

 そもそも計画もなく下調べもしないというのが間違っている、行き先の地図ぐらい持つべきである、本屋での立ち読みで済まそうなんて根性がいけない、地図を持っていればクエッタから国境まで午後6時に出て明日朝8時に到着などあのおんぼろバスで可能なはずがない距離だという事はすぐにでもわかるはずだ、そうなれば何日かかるのか?、食事はどうするのか?の疑問が出るはずだ、いいかげんな私は「明日の朝8時」というのを疑いもせず到着とばかり思い込んでいた。

 あれはきっとこうだ、ここ出発は今日の午後6時そして明日の朝8時になったらバスを止める、日中は暑くて走れないから夕方まで待機、これを3回繰り返すと国境に着くそこでイラン側のバスと荷物、乗客を載せかえる、途中には何もないから全て自分で用意をしてゆく、誰もオマエの面倒は看てくれないから、水最低ンリットル、紅茶ングラム、砂糖ングラム、その他もろもろングラム、そしてテントと炊事用具一式、出来れば携帯シャワー・トイレがあるといいかも、と細部にわたっての注意をしてくれたのだ、ウルドゥー語で。

 その有り難い注意を完璧に無視した私に誰も水も食料もくれるはずがない。
 後に日付を逆算してみると2日間気を失っていた事になる。


 アフガニスタンの南パキスタンとイラン国境に広がる、なんだら砂漠は砂丘がうねうねというのではなくどこまでも乾ききった大地が広がっているという所です、それでも地平線に半分落ちた太陽の中にラクダが数頭シルエットを作るのを見るのは感激物でした。


                

  パキスタン(左)とイランのお金、これがあったら。


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