第2話 優雅な船旅

 横浜を出て香港までは実に楽しい船の旅であった、3度の食事も美味かったし乗船している人達もさまざまで、これからの不安など頭の中から消し飛んでしまった。
 大半が日本人で私のように東南アジアを目指す人、インドで下船する人、ヨーロッパまで行く人、日本で学んで本国へ帰るアジアの留学生、そして何国人か判らない人達、こんな色とりどりな人達に囲まれたのは初めてなので、見るもの聞くもの全てに興味を引かれた。
 語学の関係から自然と話し相手は日本人となり互いのことを話すが、どうしてもこれから先の事が話題の大半を占めることになる。
 皆それぞれの計画なり夢などをもっている、夢も計画もない私は自然と聞き役となり、彼らが大分時間をかけて調べたであろう情報をフンフンと言いながらノートにメモった。  
 おかげで下船するまでにはかなりの情報が手に入ったが、ホテルの情報ぐらいであとはたいして役には立たなかった。
 中には流暢な日本語を操るマレーシア人やインド人、セイロン(今のスリランカ)人がいて彼らと彼らの国について、そして日本滞在中の話などをして一日を過ごした。
 狭い限られた船上でやることもない毎日であったが、あきあきした記憶はない。毎日が楽しかった、とりわけ3度の食事が楽しみだった。
 60年代の記憶がたどれる年の人にはわかると思うが、当時カタカナの食べ物(食事)といえば中華料理を除けば、コロッケ、カレーライス、ハンバーグ、ステーキぐらいしか思い浮かばない。前者の2品は西洋料理とはいえずステーキもハンバーグステーキならあるがフォークとナイフでステーキを食べたという記憶はない 、そんな食生活をしていたのが、今度はカタカナの毎日で、大方口にするのが初めてという物だったんだろうと思うが、チーズを除いてまったくどんなメニューだったのか記憶していない。

初めてのカマンベール

 カマンベールを始めて食べたのが「カンボジ号」での食事でだった。それまでチーズと言えば石鹸チーズ(判る人には判る?)しか食べた事はないし、それしかないものだと思っていた。「カンボジ号」では食事の度に、テーブルの中央に直径20Cm程の何等分かに切り分けられたそれが出るのである。
 同じテーブルに座る日本人の大半が、臭いだの口に合わないだのという理由で手を出さない。食事後それらは全て私の物になり、ナプキンに包まれたそれを、はるか彼方の水平線に沈む夕陽を見ながら、時には船の行き先を案内するかのように泳ぐイルカの群れを船首から見下ろしながら少しずつ味わい、至極の一時を過ごすのが日課だった。
 今はチーズ嫌いは少ないだろうが、当時はそんな人が多かったように思う、うちの大正生まれの母親など「牛の乳を人間が飲めるか」と言って牛乳は飲まない、チーズなどもってのほかとの信念を今でも翻さないし今後も翻さないだろう。
 話はそれるが今までで食べられなかったという物は記憶では一つしかない、イランの街角で食べた、見た目は大学芋そっくりで、味は大根を蜂蜜で煮たような物で、腹が空いていなかったせいか残してしまった 、何という食べ物だったんだろうか。

美味かったと思う物は沢山ある、 デーリーのコーナントプレースの「サモサ」、ネパールの「モモ」、アフガニスタンの「シチュー」、イスタンブールのガラタ橋下の魚のフライの「サンドウィチ」、ラオスの「サンドウィチ」、ドイツの「ソーセージ」、ルーマニアの「ロールキャベツ」、これらは思い出と共に記憶しているだけで、実際はそんなに感激する程のものではない、現に20年ぶりで訪れたラオスで、懐かしくて食べてみたがたいして美味くはなかった、やはり腹の空き具合(餓え具合?)によるんだろう。

 話をもとに戻そう。こうした優雅な船旅の最初の寄港地は香港だった 、始めての外国にしては感激もたいした事はなかったらしい。
 私の初めての外国というのは「船」だったのだろう、船内の記憶はかすかにあるが、香港の記憶は全くと言っていいぐらいない、ただ香港の街を雪駄の鋲をガチャガチャいわせながら歩いた事ぐらいだ。

船旅は嫌いだ!

 間違いなく今後船旅はしないだろう、どこの国だったか、死者は船に乗ってアチラの世界へ行くそうだ、そんな国に生まれなくてよかったとつくづく思う 、死んでも船酔いしなければならないのかと思うと死ぬ訳にも行かない。
 クイーンエリザベスで世界一周旅行なんて羨ましくもなんともない、その費用が払えるという事の方が羨ましくてしょうがない。
 昔NHKの天気予報(?)でどこどこ波浪うん十メーターなどと言っているのを聞いて、「ほんとかいな?」と思っていたが、あれはウソではありません。

 香港を出てからの船旅は私にとって最悪の旅になった、東シナ海では次々に台風が生まれる、その中を行かなければ目的地には着けない 、船員達は毎度の事でこのくらいと思っているのか、揺れる船内を揺れに合わせて歩いているが、こちらはそうはいかない、エレベーターを何倍も早くしたスピードで上下する、それに左右が加わるともうめちゃめちゃで、窓もない船室のベットに横になっていると何がなんだか判らなくなる 、天井や壁が勝手に動いているような感覚になるともうだめで、気持ち悪くてしょうがない。

よたよた壁を伝わりながら船員の目を盗んで外に出ると少しはましになるが、今度は外の光景にタジタジとなる、船が波の谷間に入ると波の頂上は遥か上となり、次はすごいスピードで上に持ち上げられる、これの繰り返しが延々と続くのだ。

 漁船に乗っていた人が、「オレは船内の壁を歩いた」と言っていたが納得、天井を歩かなくてよかった。
 その後、船と聞いただけで半分船酔い状態になってしまう、のちにオーストラリアからニューギニアに船を使ったが、今思うと笑っちゃいます、本当に波一つない鏡のような海で船のエンジンの振動だけ、それでも船に乗っているというだけで船酔い、食事が満足に食べられないので船長が心配して、やはり日本食じゃないとだめか、ときた、まさか、ほとんど揺れもしないのに船酔いとも言えず、ちょっと身体の具合が・・とか言って誤魔化した、それぐらい船旅は嫌いになってしまった。

昔船員になりたかったということは白紙撤回、絶対になりません。

 第 1 話 出獄 ||第 3 話 下船