6杯目 アジ(?)フライ

 ボンベイの日本寺に厄介になっていた頃だが、朝夕のお勤め以外やる事もなくお金もなかったことで、毎日その辺をうろうろして過ごしていたに違いない、あの頃は本当によく歩いたと思う、いくらでもないバス代がもったいなくて1時間でも2時間でも歩いたものだ、そんなある日近くの市場でアジフライに手ごろだなと思われるサイズの魚を見つけた、山盛りになっており見ていると洗面器のような入れ物に適当に盛り上げて1杯いくらで売っている幾らだったか記憶にないが安かったと思う、それが市場が終わりになる頃には冷凍設備がない為か「持ってけ泥棒」価格になる、ヨシッ アジフライだ!その魚が何であるかは知らない、魚の種類をかなり知っていてなおかつその魚を見た事がないから知らないと言うのではなく魚は金魚とドジョウぐらいしか知らない、ドジョウとうなぎの区別も怪しいと思う、そんな事はどうでもいい、あの魚はアジに決まっている、いや決めた。

 その夜、日本寺に帰るとアジフライを作るにはどうしたら良いか考えた、アジ、キャベツ、パン粉、ソース、問題はパン粉とソースだった色々と探し回ったがない、パン粉は出来るがソースは?
 数日後アジフライを作るべく材料を買い集めた、アジ、キャベツ、食パン、ケチャップ、中国醤油以上がアジフライの材料だ、食パンはボンベイの日差しですぐにパン粉になったし、ソースはケチャップと中国醤油を少しづつ混ぜながら煮てやったらそれらしくなった。
 その夜はご馳走だった、いつもは雑炊のようなものだったからアジフライまがいでも大ご馳走だった、見た目はアジフライそのものだったし味もそれらしかった。
 それまでおよそ料理と呼べるような物は作った事はないしこれからもないだろう(多分)、あれは私の生涯唯一の傑作である、皆さんに振舞えないのが残念でならない、能ある鷹は爪を隠すのである、私はヒタカクシ にしなければならない。

 魚といえば、ボンベイの南にあるゴアで漁師見習(?)をやっていた頃よくサメを食べた「ジョーズ」と比べたらシラスかニボシってぐらい小さなサメだ、30Cmか40Cmぐらいか、そんなのがよく網にかかった、売り物にならないらしくそれが私の日当になった、流木を集めてそいつを焼いて食うという原始人並の毎日、彼らと違うのはマッチを持っていた事ぐらいかも知れない、しかし彼らが決まった寝床(家?)を持っていたとしたら私にはそれがなかった。